2003年度 壮大な無駄遣い
春、2歳上の友人の区議会選挙戦を手伝いました。彼女は4年前、彗星のように立候補し、フレックスタイムと有給休暇を使い、大手化粧品メーカーの社員でありながら、1ヶ月の選挙運動で当選したのでした。その後は退職して議員活動に専念し、この度、見事上位での再選を果たしました。
彼女は飲み屋のカウンターでこう言いました。「40過ぎて転身するとしたら、独立しかないよね」その言葉が耳について離れませんでした。
漠然と、自分は会社員として大成しない予感がありました。一つの組織に身を置き、求められる行動をとる、というのが実は性に合わないのです。折々に見てきた自分に対する人事評価でもそれはわかります。
また、長く続けた人事の仕事にも飽きていました。手作業をシステム化、合理化していくのは好きな仕事なのですが、一度システムに組んで後輩に教えてしまうと、それはもうルーティンワークです。
法学部に進学した当初は、司法試験を受験するつもりでした。しかし、大学の勉強だけでは無理という現実を知りました。周囲の受験者も少なく、いつしか普通の就職に流れたのでした。
この年、新たに法科大学院という制度ができました。未修者向け3年コースなら、社会人でも小論文や面接の成績次第で入学できるといいます。従来の司法試験に挑戦するのは現実味がないと諦めていましたが、これなら私のような者にも法曹への道が開かれるのではないでしょうか。
8月、法科大学院出願の必須条件となる適性試験が実施されました。昨年の模擬試験の点数に気をよくし、何の準備もせずに受験しました。すると、パズル問題の解法がわからず、思ったように解けませんでした。適性試験には2種類あるのですが、センター試験は平均点を下回り、日弁連の方も10点超えただけという、情けない結果に終わりました。
それでも果敢に9校に出願しました。提出書類の中でも、各校で異なるフォームの志望書作成作業が負担となりました。手書きすべき書類が相当あり、頭を使い、時間もかかりました。自宅で出勤時刻ぎりぎりまで書いたり、昼休みに郵便局で余白を埋めたりし、ほとんどを当日消印有効の日付で郵送しました。
センター試験の点数が悪かったためか、母校を含む5校から書類選考で門前払いされました。1校だけ奇跡的に書類が通って最終の論文試験に進みましたが、そこで終わりました。
全員に論文又は面接を実施した3校のうち、1校では最終面接に呼ばれました。現行司法試験の有力校ではないのですが、個別説明会でとても感じのいい先生から「適性の点数は志望書や論文で挽回できますよ」と励まされ、好感度の高かった大学です。面接もうまくいったはずですが、合格通知は来ませんでした。
夫からは「今回限りにするように」と言われました。受験料や諸費用を合計すると、20数万円の出費でした。
2003年度は、いろいろ受験した他の資格にも、一つも合格しませんでした。
息子の突然の「留守番恐怖症」で、家族皆がつらい数ヶ月間を過ごしたこともありました。2月には地下鉄で財布をすられ、現金25000円とカード類、免許証を全て失いました。
いい思い出といえば、学童保育の父母会長を引き受け、これまで感じていた保護者間の交流不足を解消するため、バイキングレストランで初めての親子忘年会を開催したことくらいです。